ボディコンの芸能人って当時誰が居たんだっけ?

スポンサーリンク

昭和のバブル時代は有名な話しで、

日本中が活気に満ちていて銀座や赤坂、六本木などの

高級繁華街などでも毎夜、毎夜札束が飛び交っていた時代だった。

ディスコも若者で溢れ、朝まで踊り明かすという事も

珍しくはありませんでした。

そんな女性のファッションは、俗に言うボディコンというもので、

体のラインが分かるボディーにフィットしたデザインのものです。

今回はそんな昭和の象徴する助成のファッションとも言える

ボディコンについてご紹介します。

ボディコンとは

ボディコンと言うのは、ボディ・コンシャスの略語で、

体を意識しているという意味を持っています。

チュニジア出身のファッションデザイナーである

アズディン ・アライアが1981年に開催されたミラノコレクションで、

ボディ・コンシャスのドレスを発表したのを機に

日本でボディコンとして浸透したのが始まりでした。

その後、DCブランドなどがシェイプしたデザインを作り上げていったのです。

日本では主に遊び着として若者を中心に広まっていき、

ディスコなどではボディコンに身を包んだ女性が

集まるようになっていきました。

ボディコン芸能人

ボディコンの芸能人!と言って真っ先に思いつくのが

元レースクイーンの岡本夏生さんです。

岡本夏生

岡本 夏生(おかもと なつき)

1965年9月12日、静岡県出身

身長:165.4cm

体重:47.8kg

スリーサイズ:B82 – W68 – H84

カップサイズが65Fという抜群のスタイルを武器に

タレントやグラビアアイドル、レースクイーンなどで活躍。
今ではメディアへの露出度が滅多になくなってしまいましたが、

一時期は連日テレビなどで活躍されていました。

最近では平野ノラさんが当時のバブル期をネタにして

ファッションなどを再現していましたが、

それをリアルタイムでしていたのが岡本夏生さんなのです。

ボディコンの代表とも言える存在なのではないかと私は思います。

他にも、女優の千堂あきほさん杉本彩さん田中美奈子さんなども

外す事ができない存在です。

千堂あきほ

千堂 あきほ(せんどう あきほ)

1969年4月5日、兵庫県出身

身長:164cm

体重:49kg

スリーサイズ:B83 – W58 – H87 cm

やはり安定のスタイルで女優、タレント、歌手として活躍。

現在は結婚をして夫の実家がある北海道の札幌市で

三世代で暮らしているそうです。

杉本彩

杉本 彩(すぎもと あや)

1968年7月19日、京都府出身

身長:169cm

体重:55kg

スリーサイズ:B88 – W63 – H88 cm

杉本彩さんは、現在も多方面で活躍をしているので

ご存知の方も多いのではないでしょうか。

活躍の場も、タレントやレースクイーン、女優にグラビア、歌手

ダンサー、小説家に実業家と幅広いです。

他にも動物愛護活動家であることも有名ですよね。

田中美奈子

田中 美奈子(たなか みなこ)

1967年9月12日、千葉県出身

身長160cm

スリーサイズ:B80 – W56 – H82 cm

ミスマガジンで準優勝したのを機に芸能界入りをし、

女優や歌手をして活躍しました。

当時、所属事務所が田中さんの瞳に一億円という保険金をかけたことは

大きな話題となって語り継がれています。

バブル期に流行っていた曲

邦楽

この頃の曲はやはり平野ノラさんのネタで、

一躍有名になった荻野目洋子さんダンシングヒーロー

アンルイスさんが歌う六本木心中も大流行でした。

石井明美さんCHA-CHA-CHAは、大ヒットしてよく耳にしました。

KANさん愛は勝つもこの時期の曲です。

プリンセスプリンセスダイアモンドや、

若くしてお亡くなりになってしまった、

本田美奈子さん1986年のマリリンも欠かせない曲ですね。

この曲は令和の時代になっても誰もが知っているのではないでしょうか。

B.B.クィーンズ踊るポンポコリン

洋楽

バブル期の代表的な高級ディスコと言えば、

『マハラジャ』です。

週末の夜はマハラジャで踊り明かす!というのが

ステータスになっていて、活気に満ちていました。

マハラジャだけではなく、当時あちらこちらにたくさんあった

ディスコでかけられていた曲がこんなラインナップです。

アバダンシングクイーンマイケルジャクソンスリラー

アースウインド&ファイヤーセプテンバー とか

ノーランズダンシングシスター も流行っていました。

バナナラマヴィーナスカバーガールズショウミー

定番でした。

このショウミーは、森川由加里さんがカバーして

人気ドラマの主題歌として抜擢されて大ヒットしたのです。

まとめ

この頃の日本は今では考えられないほど景気がよく、

毎夜がお祭りのようなどんちゃん騒ぎが

日本中のあちらこちらで繰り広げられていた時期でした。

そんな状況も昭和の時代のいちページで、

象徴している風景でもあります。

あの頃のような活気は今後日本で再びあるのかは定かではありませんが、

コロナ禍で行動に制限ある今、

あの時代の頃のようにまでは望めないにしても

少しでも景気が戻って欲しいと願いたいですね。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする